昨年からボイトレを始めたのですが、歌を歌うことで、この地球の豊かさと人の体の面白さを体験しています。
歌を歌うことは、小さい頃からずっとやりたかったことの一つでした。
歌うことはもちろんいつでもどこでもできるんだけど、なぜか学びたいと思っていました。
生まれ持って歌が上手な人もいますが、私にはその才能は与えられず。苦手だけど、小さい頃から歌を歌う人への憧れは持っていました。
そこで思い出すのが小学生の頃のエピソード。
私は、本当は合唱部に入りたかったのに、なぜか吹奏楽部に入ってトランペットを吹いていたという思い出。
小学3年のある日の放課後、友人に誘われたことがきっかけで、吹奏楽部の見学に行きました。翌日入部するかどうかを先生に伝えなければならなく、友人は当然の如く入部するのだろうと思っていました。私自身は本心でやりたかったというわけでもなく、ただ断るのが恥ずかしいという理由だけで、親と大喧嘩しながらなんとか説得し、許しをもらいました。
でも、翌日、その子は吹奏楽部に入部しなかったんです。私はびっくりしたけど、親を無理やり説得した手前、後には引けず吹奏楽部に入部。トランペットは楽しかったものの、本当は合唱部に入りたかったのにという想いを大人になるまで引きずることに…
友人は1年後合唱部に入部し、部内でもエース的存在でした。
うちの小学校の合唱部は、県内のコンクールでもトップ争いをするほどの強豪校でした。
いつも合唱部の歌を聴いては鳥肌を感じながら、「私は本当は歌を歌いたかった」と思い続けた4年間。(いやそれ以上)
ならば、本当にやりたい道に行けば良かっただけのくだらない話だけど、人生においてこういう教訓はよく起きる。
私は、狙った獲物は逃さないタイプだと思い込んでいたけど…(いや確かにほとんどの獲物は捕らえてきたけど…)、変なところで妥協するクセがある。そこが弱点。
話は戻りますが、最近歌を歌いながら、歌詞ってすごいなぁ〜って、今更ながら歌詞の力に魅了されています。
メロディーに載るだけの少量の言葉を紡いで、ハートに刺さるメッセージを生み出すってすごいことだと思います。
私は一冊の本を書きながら、マラソンのような遠いゴールに向かって一つのテーマをひたすらに説明していくけど、それとは真逆なスタイル。端的にハートに突き刺さって、何年経った後でも記憶の片隅から湧き出てくるワンフレーズ。なんて美しい世界なんだろう。
いつか私も歌詞を書いてみたいな…という野望が湧いてきました。
野望というほどでもなく、ただチャレンジしてみればいいだけの話かもしれないけど。
本を書くことは、わかりやすく授業する教師のようだけど、歌詞は、一枚の絵に想いとエネルギーを凝縮させるような感覚に近いのかもしれない。