夏。お盆で実家に帰り、バーベキューをしたときに、家族の一人がコロナに感染。そこから大人たちが次々感染。残された70代の父と園児と小学生と中学生の子どもたち。
子どもたちと父のために、唯一動ける私が料理を作りに帰っているうちに、数日経って父も感染。結局、近くにいた私も感染。おそらく子どもたちも感染していたのでしょうけど、ほぼ症状がありませんでした。
そこから長い長〜いコロナの隔離期間。私は自宅で一人、上がったり下がったりを何度も繰り返す熱を感じながら、静かな時間を過ごしました。それでも、山口県代表の下関国際高校の甲子園決勝は、テレビ観戦できたのが良き思い出。発症から数日後に現れた焼けるような喉の痛みは、マヌカハニーを舐めて鎮め、水分とスイカや葡萄などのフルーツを食べて凌ぎました。
喉がイガっとする→軽い咳→いつもより疲れやすい→猛烈に関節が痛い→ついに発熱(発症)→38.8〜36.5度を行ったり来たり→やけるような喉の痛み→嗅覚障害
次々と移り変わる症状。
コロナは10日間の隔離期間にとどまらず、妙な倦怠感と集中力の低下、さらにはやる気までを奪い、咳が約1ヶ月近く続きました。
頭が詰まったような感覚がして、思うように文章が降りてこない。アイデアが降ってこない。仕事をしたいのに、いつものようには気分が乗らない。食欲が戻らない。なんだか不思議な病気でした。
完全に集中力が回復した今、あぁ、集中できなかったのはコロナのせいだったんだ。よかった。と胸を撫で下ろしているところです。
ただ、コロナになってどこにも行かない生活になり、カフェによく行っていた私ですが、コロナ以降2ヶ月経っても一度も行っていません。行きたいとも思わなくなりました。(これは、いい意味でも悪い意味でもなく)
コロナ前の自分と、コロナ以降の自分は、別のパラレルワールドの自分なんじゃないかと思うくらい、大きく変化しました。その、カフェに行かなくなったことも然り。不思議なのは、声帯がまるで別人のようになって、歌を歌うときの喉の通り方が全く違う人の体のような感覚になったこと。
本当に、別の並行世界の自分の体なんじゃないかな。
コロナ自体は大変で、もう2度とかかりたくないけれど、この夏に、この体験をしたことは、私にとって意味のある貴重なものとなりました。大切なことに気づかせてもらい、感謝でしかありません。
体調が思わしくない中、いつもよりガムシャラにダイアリーの執筆創作に向かうことになった私でしたが、その結果、とても満足できるダイアリーが完成しました。
コロナが原因だったのか、新たなエネルギーのダイアリーを生み出すための産みの苦しみだったのか。おそらくその両方が相俟って、なかなかハードな体験でしたが、締め切り前のラスト3日。とても終わるとは思えないほどの膨大な量の絵とアイデア出しを、ゾーンに入って完成させた経験は、私にとっての大きな自信となりました。確実に、ダイアリーが完成したあの日に、私はまた別の世界へと移行したのを感じました。
8月から秋にかけて、少なくとも2つの世界を移行し、おそらく7月から考えると、3つの世界は飛び越えたほどの出来事が起きました。いや、6月の終わりにも足の爪が剥がれるという事件も起き、6、7、8、9、10月…いろんなことが毎月のように目紛しく起きました。その一つ一つの体験が、私の背中を力強く押す突風のように、まだ知らなかった世界へといざなってくれました。そしてまだ、この先の世界があるのを私は知っている。
あるときから、貝のように表現することに沈黙していた時期を経て、今また、表現の波が押し寄せてきている自分に安堵しています。
よし!これでいいのだ!と確信している今。やはり、宇宙はすべてが1ミリの狂いもないのだ!