私は、子どもの頃、誰にも言わないで一人だけで楽しんできたことがたくさんある。
親にも友人にも内緒で、一人でバスに乗って、隣の市の(当時は賑わっていた)商店街に遊びに行ったこと。
こっそり髪を染めたり、好奇心でいろんなことをやったりした。
でも、それをわざわざ誰かに話すこともなかったし、特に秘密にしていたわけでもなかった。
最近、幼馴染に「普通、子どもだったら、”こんなことやった〜!”って自慢するよね?」と言われ
ああ、確かに普通はそうなのかもしれないと思った。
子どもの頃から、あまり自分のやっていることを言わない性格だった。
学校での生活も家族に話すことはほとんどなかった。
聞いて欲しいとも思わなかったし、内緒にしているつもりもなかった。
今も自分の活動について、聞かれなければ自ら家族に話すことはない。
思い返すと、兄はよく学校の先生の面白ネタや友達のエピソードなどを繰り返し話していた。
私はいつも聞き役だったが、それで十分満足だった。
そんな私の性格だから、人に向けて毎日のことを話すのが苦手だ。
だから、人に向けて発信するSNSが得意ではない。
でも、このLily’s Diaryは私のただの独り言であり、子どもの頃、一人でこっそり書き綴っていた鍵付き日記に感覚は近い。
だから、自然体で楽しく書ける。
私は、本を書いたり、絵を描いたりするから、発信が好きだと思われそうだが、ちょこちょこ小さな発信をしたくない。
自分の中で熟成させたいタイプ。
SNSになると妙に軽い言葉しか出てこない。
でも、その感覚を大事にしたいと思った。
無理に、SNSを毎日やる必要もないし、起きた出来事を人にアピールする必要もない。
自分の中でひっそりと熟成させるからこそ、生まれる言葉や感覚がある。
私にとっては、その「感覚」が重要である。
いつも一人で、思慮するのが好きだ。
いろんな世の中の動きや、人の体験すら、見て、感じて、言葉にもならない感覚を自分の中で育てるのが好き。
子どもの頃から、一人が好きだ。
それは決して孤独な時間ではなく、最も深いところで感覚を味わえる神聖で永遠な時。
人のことは大好きで、人の話を聞くのも好き。
だけど、一人だけの時間が最も偉大な叡智とつながる時間。